1度目見た時に、情報量が多すぎて脳が処理しきれずに途中から映像を楽しむだけになっていたので、内容を理解しようとテレビアニメと『少女☆歌劇 レヴュースタァライトロンド・ロンド・ロンド』を見てからもう1度見に行った。
※本記事にはテレビアニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』、映画『少女☆歌劇 レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド』、映画『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』のネタバレが含まれています。また、映画『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』のパンフレットの内容にも触れています。特別上映版は見ていませんので、触れていません。
知らない人にネタバレしたくない、と思える作品なので、できれば先にアニメを見てから読んで欲しいと思います。
(ここはほぼネタバレないです)
いやーめちゃくちゃアツかったですね。舞台少女たちのほとばしる熱い思いがぶつかり合い、それに呼応して舞台装置が動き出す演出、場面とリンクした歌詞の曲。少女たちの激重感情も、それに合わせられるアニメーションとしての演出もすごくすごい。内容わからなくても面白いわ……ってなるだけの映像があったと思いますし、2時間たっぷり情報量が重たい映像を見聞きすることになるので、体力のないときに見に行くと最後までちゃんと見切れなかった……となるかも。
実際1回目は途中から半分意識が飛んでたのか、見終わった後にちゃんと内容が思い出せなかったですし……。
それだけの演出をぎっちり2時間に収めてきたのは、ワイルドスクリーンバロックだから、ということだと思います。
”wi(l)d-screen baroque” とは造語のようですが、元ネタは「ワイドスクリーンバロック」というSFのジャンルでしょう。SFには詳しくないのですが、ざっと調べたところ、「通常以上の密度で時間や空間に囚われずに目まぐるしく展開され、絢爛豪華な描写で絶え間なく続くにもかかわらず、視聴者(もとは小説だから読者)はなんとなくわかったような気になる作品ジャンル」という感じみたいですかね……?*1
確かに本作は場面があっちこっちに行ったり、過去の回想にいったりと、一見視聴するとわかりにくかったです。1回目内容分からなかったんですが、これが意図的にそうされている、とのことで僕は少し安心しました。
ただ、本来のワイドスクリーンバロックは太陽系レベルの問題だったりが最低限出てこないといけないっぽいので、そういう意味ではワイドスクリーンバロックではないのでしょうかね……。だからこそワイルドに変えているのだと思いますが……。(あんまり言うとSFに詳しい人に怒られそうなので、この辺でやめときます。本作見てから調べるまでこういうジャンルがあるってことも知らなかったので……。)
とまあ、こんな感じで内容はなんだかよくわからなかったけど、映像とか演出によって感動させられる、そういったアニメーションだったように思いました。
……と、ここで終わる方がよかったのですが、全部は理解できなくてもとりあえず自分が納得いく理解ができるところまでは理解しようと思って見に行ったのが2回目です。2回目に向けて、テレビアニメ版とロンドロンドロンドを見返してきました。
テレビアニメ(2018夏)もロンドロンドロンド(2020夏)も放送時、上映時に見ていたのですが、本編の理解の為には見返す必要があると思ったので……。
このあと、グダグダ続くけど、映像の美しさとか、演出の素晴らしさとかに耽溺するのが一番良い楽しみ方だと思うので、ここから先は全部蛇足です。
(ここからネタバレだらけ)
テレビアニメ版のおさらい
未來のトップスタァを養成する星翔音楽学園99期生の愛城華恋は、2年生の2018年5月14日、転校してきた神楽ひかりと12年ぶりの再会を果たす。二人は5歳のころ二人で見た舞台「スタァライト」に感銘を受け、二人でスタァになって舞台で会おうと約束をしていた。
学園地下で行われる舞台少女8人によるトップスタァを目指したレヴュー。華恋はそこに9人目として飛び入り参加し、それぞれの想いをぶつけ合いながらひかりと二人でトップスタァへなるべく、レヴューを演じ続ける。
2人以外の舞台少女である、天堂真矢、西城クロディーヌ、露崎まひる、石動双葉、花柳香子、星見純那、大場ななの想いが描かれながら、オーディション最終日、華恋とひかりは勝ち残る。しかし、トップスタァになれるのは一人だけ。敗者は舞台少女のキラメキを奪われることを知っていたひかりは、華恋を守るために自らを犠牲にし、終わることのない永遠の舞台を演じ続けるべく、地下へ幽閉される。
ひかりがいなくなり7カ月が経過した。学園では第100回の星翔祭に向けて最後の追い込みに入っていたが、その中にひかりの姿はない。華恋はひかりに会うために再度地下の舞台へ。終わらない運命のレヴューを演じ続けたひかりを、華恋は自らを「再生産」し、悲劇の結末を書き換える。
華恋「ひかりちゃんが、私の掴もうとした星」
ひかり「華恋が、私の求めていたスタァ」
戯曲『スタァライト』の内容
『お持ちなさい、あなたの望んだその星を』
年に1度の星祭りの日、フローラとクレールは運命の出会いをする。1年後、再会したときに、クレールは記憶を失っていた。星祭りの日、星摘みの塔で星を摘めば、思い出せるかもしれない、と二人は塔を登る。
『小さな星を摘んだなら、あなたは小さな幸せを手に入れる。』
『大きな星を摘んだなら、あなたは大きな富を手に入れる。』
『その両方を摘んだなら、あなたは永遠の願いを手に入れる。』
激高、傲慢、逃避、呪縛、嫉妬、絶望の6柱の女神たちに阻まれながらも、ついに塔の頂上にたどり着いた二人。しかし、星に手を伸ばしたところで星の輝きにフローラは目を焼かれ、塔から落ちていく。
『二人の夢はかなわないのよ』
塔の頂上ですべてを思い出したクレールは、星を摘もうとした罪人として、塔に幽閉される。(この部分については、第11話にて原書を訳す中で明かされる。)
テレビアニメは、作中作の戯曲である『スタァライト』と、華恋たち9人の舞台少女がパラレルに重なる構成となっており、悲劇の結末を迎える『スタァライト』という物語が、ひかりが永遠に演じ続ける運命の舞台が、華恋によって「再生産」され、結末の続きを始めることで悲劇でなくなった、というお話でした。
新たに書き換えられた『スタァライト』は第100回の星翔祭にて、99期生により演じられています。(最終回第12話)
6柱の女神はそれぞれ名を変えて、7柱目の神?が追加され、フローラとクレールはお互いを「望んだ星」として摘むことで、再会を果たせたという結末になっています。
フローラ(華恋)「見つけたよ、私たちの星を」
クレール(ひかり)「見つけたね、私たちの運命」
『少女☆歌劇 レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド』
ロンドロンドロンドの内容ですが、テレビアニメ内の物語にて何度もレヴューを勝ち抜き、第99回の星翔祭を繰り返していた大場ななが、オーディションの主催者であるキリンとともに、テレビアニメの内容を振り返るような構成になっています。ただ、一部追加のシーンやセリフがあります。以下は最後に追加されているななとキリンのセリフ。
キリン「ですが、戯曲スタァライトは作者不詳、あなたたちが終わりの続きを始めた。ならば……わかります」
血まみれの舞台少女たちを見て
なな「舞台少女の、死?」
キリン「わかります、か?」
なな「わかります」
キリン「始まります。観客が望む新章の続き、舞台の求める新たな最終章、ワイルドスクリーンバロックを」
また、更にこの後に、以下のようなひかりの独白があります。
ひかり「選ばなかった過去たちへ、静かに捧ぐ讃美歌を」
ひかり「運命の舞台まで追いかけてきてくれてありがとう、華恋」
ひかり「でも、私たちの舞台はまだ終わっていない」
ひかり「私たちはもう、舞台の上」
今作『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』は別れの舞台
最初に見た時は全然わかってなかったのですが、今回の内容は「別れ」とか、あと「終わり」とかががテーマだったのだろう、とロンドロンドロンドを見返したり、パンフレットを見返したりして思いました。
って思って映画2回目見たら、一番最初にひかりがこれは別れの舞台、ってまんま言ってて、自分の節穴加減に死にたくなった。(仕方ないよ2時間ぶっ続けで映像で殴られたら最初のセリフなんて覚えてられないよ。)
なぜ「別れ」や「終わり」がテーマだと思ったのかというと、テレビアニメ版で『スタァライト』を書き換えて新しい物語にしたけど、これではまだ終わっていなかったから、ということですね。今作のパンフレットの一番最初のページに「ならば……その新章の結末は?」と書かれており、上述のロンドロンドロンドでのキリンとななの会話もまさしくそういうことを指している……のではないかと。
新たな物語として結末の続きを始めたのであれば、その後の終わりがなければならない、ということかな、と思います。
(パンフレット内で明かされていますけど、本作品には「彼女たち、卒業します。」くらいしか物語がない(!?)らしいので、この感想って正直ほとんど妄想なんですよね。卒業ってことですし、内容を見ていても悲しいだけの別れではなく、前向きな別れだと思います。)
進路を決める舞台少女たち
ようやく劇場版本編の内容に踏み込むと、最初に9人のうち華恋とひかりを除く7人の進路志望が明らかにされます。ひかりは自主退学していますが、これはテレビアニメで最終オーディション後にいつの間にか自主退学していたものとは別で、2年次の星翔祭でクレールを演じた後に自主退学したものと思われますので、混乱しないようにしましょう……。(初見時は混乱して、テレビアニメと別の、ひかりが帰ってこなかった世界線の話なのかと思ったりした。)
根拠として、華恋の机の上の写真は9人勢ぞろいのものになっていました。(ちゃんと2回目映画見た時に確認しましたよ!)
真矢、まひる、双葉は国立第一歌劇団(名前間違ってるかも)への入学希望、香子は京都の実家の襲名、ななは歌劇団の俳優か脚本かで迷っており、純那は大学の文学部へ。クロディーヌはフランスの名門に、となっています。
ここで、ペア的な二人(真矢とクロディーヌ、双葉と香子、純那とばなな)がそれぞれ別の進路に進む、というのが重要で、別れになっています。まひるも、華恋と同じ志望、などとはしていないので、別れを覚悟しているのは間違いないでしょう。
電車で国立歌劇団への見学に行く8人。途中で電車はワイルドスクリーンバロックに変わってしまいます。なぜ電車からなのか、みたいなことはお手元のパンフレットで確認してもらうとして、キリンやななが言う「舞台少女の死」とは何なのか。
『舞台少女の死』
テレビアニメで出てきた「死せる舞台少女」という言葉を確認すると、英国のオーディションで負けたことにより、舞台少女にとって大事なキラメキを失ったひかりのことを指しています。つまりはキラメキを失った状態のことなのではないかと。
テレビアニメの内容を覚えていなくても、この後のセリフとして、
真矢と動物将棋中のクロディーヌのセリフ
「あんたとの舞台に満足していた(が、それは舞台少女としては不十分だった)」や、
ななの
「電車は必ず次の駅へ、では舞台少女は?」「私たち、もう死んでるよ」
といったセリフなどもあり、「舞台少女の死」というのは、満足してしまった状態(not wild)で、次の舞台に進めない(求めていない)状態のことを指しているのではないかと思います。この辺は初見時もなんとなくはわかったかな……。
「電車は必ず次の駅へ、では舞台少女は?」
というセリフは何度か繰り返されましたし、
「舞台少女も次の舞台へ」
というセリフは最後のひかりと華恋のレヴュー内でも出てきますしね。
ななが6人の舞台少女と突然戦いだすのは、現状に満足し次に進めなくなっている舞台少女たちへの警告としての意味合いがあり、ワイルドスクリーンバロックが始まることで、舞台少女たちは野性的に、本能的に、荒々しく次の舞台を目指すようになる(舞台少女の再生産)ということだったのではないかと思います。
第101回星翔祭決起集会
電車上での戦いから場面転換すると確かこのシーンだった気がします(間違ってるかも)。
脚本担当の雨宮さんがまだ脚本が完成していないことに悩んでいるシーンですね。申し訳ないけど、この脚本とか演出の娘たちは記憶の外だったので、初見時はこんな娘いたっけ……?ってなりました。テレビアニメ見たらかなりがっつり出てたのですみませんでした。
ちらっと映る脚本とパンフレットの脚本を見比べた感じ、もうほとんど出来上がってると思うんですよね。
具体的には女神たちの
「今こそ塔を降りるとき」
まで出来ているので、もう充分やろ感もあったり。なんなら華恋たちと違って例のオーディション周りのことを何も知らないのに、ここまで書けてるのはすごい……。
ここで演出担当の眞井さんが
「怖いな~~~~!!」
と叫ぶシーンも、見返すと結構大事なんだなと思ったり。
ここでは、昨年度の第100回のスタァライトを超えて次へ進まないといけない怖さですが、パンフレットのインタビューでもあるように、舞台に立つ怖さ、舞台を終えても次に進まなければいけない怖さ、というものも本作で描かれていた一つのテーマだったのではないかと思います。
石動双葉と花柳香子 怨みのレヴュー
争いの発端は、双葉が香子に相談せずに志望先を決めてしまったこと、しかもその志望先が自分(香子)と離れるものだったから、ですかね……。正直書く前からげんなりするくらいの痴話げんかでしたが……。
双葉の進路については、クロディーヌが助言しており、これも香子的には気に食わない点でしょう。テレビアニメでも、クロディーヌにダンスを教えてもらっている双葉に対して、やきもちを焼く香子のシーンが6話でありました(見返すまでこの辺は忘れていました……)ので、ここの3人の関係は若干ややこしいのかもしれないです。
イライラしたことで、香子は
「あんたら、自分がトップスタァでなくて満足なん!?」
というような、死せる舞台少女的にも核心を突くような言葉も発していたり。本人も八つ当たりなのは自覚してましたけど……。
二人のレヴューは
「お前の為なんだ」
といって勝手に進路を決めた双葉と
「うちのことが鬱陶しくならはったんやろ?」
とねちねちいってくる香子のやり取りで、見ててすごく楽しかったです。
映像的にも最初のレヴューということもあるのか、江戸時代の丁半賭博場みたいなところから始まり、バーになったり、突然めちゃくちゃ豪華な電飾したデコトラが出て来たりで、めちゃくちゃ楽しかった。初見時はこの辺で、「あーこの作品はアニメーションを楽しむものであんまり細かいことは気にしちゃいけない系だったか」ってなったりしました。
本作は別れがメインテーマだと思うと書きましたが、ここの二人はわかりやすかったですね。
最終的に今回は双葉の勝ちとなりますが、これはテレビアニメと逆の勝敗ですね。おそらく、今回の勝敗は全部テレビアニメと逆になっているのではないかと……。(要検証)
露崎まひると神楽ひかり 競演のレヴュー
英国からわざわざレヴューに参加してくれるひかりが、華恋のもとへ進む途中で現れたのがまひるちゃん。舞台はオリンピック。多分視聴者の10人に1人くらいはもうこれが東京五輪でいいよとか思ったに違いない(荒れそうだから白文字)。
舞台で演じないひかりを責めるまひるちゃんですが、ホラーシーンはかわいいのに怖い感じがとても好き。やっぱりまひるちゃんなんだよな。
まひるの相手がひかりなことについては、悲しいことにまひるだけは相手がいないので、ひかりが華恋のところへ向かうための決意を決めるというか、心の準備をするための役割みたいになってたなあという印象です。実際に、まひるとひかりの会話は結構その後の華恋とひかりのレヴューにも効いてくる感じがあり……。
まひるがひかりに対して、
「どうして華恋ちゃんから逃げたの?」
と問い詰めていくシーン。初見時は5歳のころの別れの話かなとか読み違えていたのでめちゃ混乱しましたが、2年時の後にひかりが自主退学したことについての言葉でした。(ちゃんと、5歳の時からの約束の舞台だったのに、どうして逃げたの?と言っているので、5歳の時のことじゃないのは自明なんですよね。初見時はもうこの時点で体力切れだったのかもしれない。)
この問いに対する回答を先にしておくことで、ひかりは華恋とのレヴューに臨めるわけですね。
皆さん、ひかりの回答は覚えてますか?
(初見時視聴後ぼく、「え? なんだっけ?」)
答えた後に、ひかりを見送るまひる。ここがお別れだったんですよね。
まひるにとって華恋は特別ですが、テレビアニメ版で
「二人のお世話が楽しかった」
と話しているようにひかりも特別であったことが描かれています。
テレビアニメではまひるとひかりの戦闘は描かれていませんでしたが、ひかりは最終順位2位なので、おそらく勝ったのではないかと思っています……。総当たり想定で表も作ってみたけど、不明日が多すぎてひょっとしたら戦ってないかもしれない。
星見純那と大場なな 狩りのレヴュー
「狩りのレヴュー」と、一番直接的にwild感を出してきているレヴュー。ななのセリフは端々にwild感があり、実際にななだけは先にワイルドスクリーンバロックのことを知っているので分かった上での発言なのではないかと思います。
純那は一人だけ舞台に直接関係のない進路を選択しており、理由として今はまだ自分には不足しているものが多い、といった趣旨の発言をしているため、そこを突いている(「今は今はと言い訳重ね~」)のがななの口上でした。
「眩しかった」
というななの過去形のセリフは、純那が死せる舞台少女になっている、という意味と見てよいのかな、と思いつつ、言うほど純那って後ろ向きだったかなという気持ちにもなったり……。(どっちかというとななの方が後ろ向きのイメージがあり……。まあ最後まで見てからの感想だからそう思っただけかもしれません。)
追い詰められてから純那が偉人の言葉ではなく自らの言葉でななに立ち向かうシーンは、テレビアニメにて純那が偉人の言葉でななを励まし、最後は自分の口上で励ましたのを思い出してアツイですね。
最後に決着が決まってから大きなT字路で二人がそれぞれの道に進むシーン、まさしく別れのテーマを表していて、初見時にこれに気づいてなかったのはさすがに節穴が過ぎました。(初見時は映像お楽しみモードになってたので、「今回のポジションゼロはでっけえなあ」とか思ってました。)
それにしても、テレビアニメからずっと出ていたポジションゼロを示すT型のバミリが別れのT字路にもなる、というのは上手い演出ですね……。
そういえばテレビアニメでこの二人は戦ってたっけ?と思ったのですが、明確には描かれてなさそうです。ただ、オーディション6日目(8話)でひかりに負けてもまだ4位タイ(1位真矢、2位クロディーヌ、3位ひかり、4位華恋)だったななは恐らく純那にも勝ったんではないかと思います(ホンマか?)。既にこのテレビアニメと逆仮説は正しくない気がしてきましたね……。
真矢とクロディーヌ 魂のレヴュー
初見時一番記憶が消えてたレヴュー、なんなら2回目もここだけレヴュー名を覚えられなかったので、誰か教えてください。(記事公開したらオタクが一瞬で教えてくれたので追記)
真矢とクロディーヌについては、テレビアニメのころからずっとライバルでありながらも互いが互いの一番の理解者でもある、というような立ち位置かなと思っていましたが……。今回のレヴューの中で真矢はクロディーヌは「ライバル役」だった、といい、一方でクロディーヌは自分は真矢のライバルだった(役ではない)、と主張します。
真矢にとって、自分は演じる役を入れる「神の器」であり、中身はからっぽだ、ということでしたが……。クロディーヌの言うように真矢は憧れや嫉妬を詰め込んでいるもののはずで、テレビアニメでも
「自分以外の人間がトップスタァになるなんて、考えただけでも嫉妬で狂いそうになる」
なんてことを言っています。そこを突かれてから本性をむき出しにして戦い合うのがこれまたいいですね。
初見時「私はいつだってかわいい」は草、とか思ってたのはさすがに何も考えずに見すぎだったかもしれない。それにしても、上掛けを落とされても失格にならないクロディーヌはずるくない? 理を破るとは!って真矢が思うのも当然(ていうか僕も思った)。
和洋の舞台か演劇だかを二人が様々演じるシーンなんかは色々元ネタがありそうだと思ったのですが、普段アニメしか見ないので、演劇とか舞台とか映画とか詳しい人にその辺の解説を委ねます。(感想書く前に人の感想読むと満足しちゃいそうなので、まだ何も他人の感想を読んでいない。)
皆別れのはずの舞台なのに、この二人だけ明日も明後日も永遠に続ける気満々でお互い好きすぎんだろ……ってなりました。
この二人のテレビアニメでの対戦結果は間違いなく真矢が勝っています。というか、初見時はここの辺だけの結果を見て謎の仮説を立ててしまったんだろうな……。
それぞれのレヴューについては、初見時は正直何もわからず映像すげー演出すげーって終わってたのですが、何のために戦っているんやろ……?感もあり謎でした。
2回目でこれが別れの舞台である、と想定して見てみると、戦っている理由はおそらく別れの挨拶、儀式みたいなもので、積もりに積もった互いへの想いを爆発することが日常の中ではできなかったからこその舞台なのかなと思いました。
華恋とひかりの回想
今作では、上のそれぞれのレビューの合間合間に、華恋とひかりが初めて出会った幼いころから、華恋がどのように星翔音楽学園に通うまでになったか、が描かれています。
最初は華恋が引っ込み思案(!)でひかりと遊ぶうちに明るくなっていったとか、小6とか中学くらいだと周りからも一目置かれるくらいしっかりした娘みたいに思われていたとかで、テレビアニメでの最初の印象とは大きく変わり新鮮でした。
これまでの過去を描いた理由としては、おそらくこれが別れの舞台であるからこそ、華恋から見たひかりの存在がどういったものだったのかを改めてわからせるためだったのだと思います。
華恋にとってひかりとの約束は運命であり、5歳からその運命のためにこれまで生きてきた。
(「私にとって舞台はひかりちゃん」「奪っていいよ、私の全部!」「ひかりちゃんを私に全部ちょうだい!」など、テレビアニメでももはやプロポーズだろこれみたいなセリフのオンパレードでしたね。)
第100回の星翔祭でその運命の舞台での再会は無事に果たしてしまった。その次の別れが来た、というのが前提にある流れだったのかと。
冒頭での『エルドラド』練習時にも華恋は
「なぜ……なぜ……なぜ……」
と泣いていますが、これもひかりがいなくなってしまったことに対するもので、こうしてみると最初から最後までめちゃくちゃ別れの物語だなという気持ちになりました。
華恋とひかりのレヴュー
ひかりが自主退学した理由(「華恋ちゃんからなぜ逃げたの?」というまひるの問いかけへの答え)は、怖かったからというものでした。競演のレヴューではこれだけでしたが、華恋とのレヴューではもう少し明確に話してくれていて
「華恋のキラメキに目を奪われてファンになるのが怖かった」
なんてことを言っていた、と思います(記憶があやふや)。
華恋というスタァの輝きに目を奪われて、ファンになってしまうというのは、星の輝きに目を焼かれて塔から落ちたフローラのことだったのかもしれません。その後の華恋のセリフで
「ひかりがまぶしい」「ひかりが羨ましい」
なんてことを言っていた記憶があるので(幻聴かもしれない)、自ら進んで離れていったひかりと、まだ離れられていなかった華恋の違いが勝敗を分けたのかもしれないです。
「別れ」は怖いけれど、私たちはもう舞台の上
眞井さんがいう「怖いな~~~!」は、以前を超えて次に進む怖さ
ひかりがいう「ファンになるのが怖い」は、停滞し次に進めなくなる怖さ
華恋がいう「舞台ってこんなに怖い場所だったっけ」は、運命を失っても次へ進まなければいけない怖さ
別れや、それに伴って次に進まなければいけない恐怖が様々に描かれていました。
初見時、ラストで華恋が
「スタァライト、演じ切っちゃった……」
となっているのが初見時にはよくわからなかったのですが、こうしてみると
「約束を果たして空っぽになっても(=スタァライトを演じ切ってしまっても)次の舞台へ向かっていかなければならない」という、13年間抱いていた約束であっても果たしたのであれば次に行かなければならない、という恐ろしさでした。
これに対してことなげもなく、
「探しに行こう、次の舞台へ」
と返すひかりは、テレビアニメのときの弱かったころからとても成長しているように思います。
最後の場面で、砂漠(荒野?=wild?)が出てきたのも、何もない砂漠で唯一寄る辺になっていた塔(東京タワー)も倒し、何の寄る辺もないままにあてどない砂漠をさまよう怖さ、を表しているようにも思えました。
電車は必ず次の駅へ、舞台少女も次の舞台へ。アニオタは次のアニメへ。
舞台少女たちは無事に次の舞台へ進めたのだと思います。全員が上掛けを外して、『青空の向こうへ』飛ばせていますから。
パンフレットにて、それぞれが主演のフローラの最後のセリフは、舞台少女たちの決意を表す、別れの言葉だったのだと思います。
*1:もともとの定義は、時間と空間を手玉に取り、気の狂ったスズメバチのようにブンブン飛びまわる。機知に富み、深遠であると同時に軽薄 — ブライアン・W・オールディス、『十億年の宴』p.305より 浅倉久志訳