ワールドダイスター 11話(第十一場) サブタイトル『私たちの約束』
※当然ネタバレありなので、第十一場まで見てからどうぞ
ここまでのあらすじ
・『オペラ座の怪人』を演じることとなった「シリウス」では主役のファントム役を誰が演じるか、オーディションを行うこととなる
・カトリナ、八恵、ぱんだ、知冴、そしてここなの5人がオーディションに立候補し、『それぞれの幻影』を演じる役作りを行った
・他の候補者の演技を参考にするため、静香と共に知冴、ぱんだ、カトリナの演技を見学するが、特にカトリナの迫力ある演技に自信を失ってしまうここな
・そんなここなに、静香は行きたいところがある、と切り出した
ここなの過去と静香の存在
第十一場Aパートいっぱいを使って、ここなの過去と静香の存在が明かされた。
「ワールドダイスター」を目指し出したのはいつだった?という問いから、ここなは、静香との本当の出会いを思い出す。(ワルブレかよ)
舞台のある都会から引っ越しを余儀なくされたここなは、周囲になじめず大好きな舞台もない中で孤独を抱えていた。そんな中、孤独を紛らわすために、一人で舞台の真似をしていたところ、突如として表れたのが静香だった(※)。
静香は、ここなが孤独によって生み出したイマジナリーフレンドと考えるのが妥当。
第一場、第二場時点では、静香は他のキャラクターには姿を見ることも声を聴くこともできず、ここなにしか見えていない存在だった。
このため、当初はイマジナリーフレンドか幽霊か、といった解釈だったが、センスとして実際に見えるようになったことで、珍しい「センス」の形というような評価になっていた。
ここで初めてここなは、「静香がセンス」だと気づいた?(要確認)
追記:確認したが流石にその線は無理筋。第四場でここながいる中、静香自身が「ここなのセンスですから!」と発言あり。
※幼いここながこの時点で「センス」として発動出来ていたかについて、静香は「不安定だったんじゃないかな」と言っている。小学生の八恵が「センス」を発動できることから、この時点でもここなのセンスが発動していてもおかしくはないが……第三者に見えるほどだったかはかなり微妙なところ。第三場で舞台に出てくるまでは、ここなにのみ見えていた存在と見るべきか。
ともあれ、ここなにとっては「初めてできた友達」が静香で、ワールドダイスターになることを夢見るようになる。
加えて、ここなが本来感じるべきだった、ワールドダイスターを目指すうえで感じるべき負の感情(他者を蹴落としてでも舞台に立つという野心、自らが誰よりも良い演技ができるという傲慢さ、なぜ自分が舞台に立てないのかという苛立ち等)を、静香が受け持っていたことが明かされる。
実際に、第七場にて「大好きな八恵ちゃんと舞台に立てるだけで満足している」と思う描写、第二場にて憧れの八恵の演技を真似てしまうという描写がなされており、ワールドダイスターどころかダイスターを目指す演者らしからぬ心理を持っていた。
第一場から全体を通して、対抗心が強いカトリナとは対照的に描かれており、そういった際には、静香がワールドダイスターを目指すならかくあるべし、とダメだしをしていた。
ファントムを演じる上で、これらの負の感情が必要になるから、といって静香はここなに感情を返し、その姿を消していく。
このタイミングで1話を切って、EDはここなのみverとかにする演出があったら好き(でも尺の都合で難しいのだろう)
ファントムを演じる上で重要だったものは…
第十一場Bパートでは遂にオーディションがなされる。尺の都合か、第十場の再放送となるのを避けるためか、ここな以外の演技はない。
ここながファントム役に選ばれた理由を解釈する。
怒りと孤独、狂気の感情
ファントムを演じる上で重要なのは、第十場にて以下のように話されている。
静香「社会から隔絶された怒りと孤独を表現するのがポイント」
カトリナ「人間社会から隔絶された怒りと孤独が奈落の底で狂気に変わる」
といったように、負の側面が大きくクローズアップされる。
静香から負の感情を手に入れたここなには、この表現も一定可能。静香は「幻影」そのものとも言えて、負の側面の感情は大きかった。
加えて、ここな自信が孤独な幼少期を思いだしたことも、孤独の演技に寄与している?
(イマジナリーフレンドを生み出す程の孤独があったことが、ファントムを演じる上ではプラス評価になる。人気者の八恵、幼いころから友人がいた、ぱんだや知冴には難しいか)
一方で、「怒り」「孤独」「狂気」の表現としては、第十場で見せたカトリナも負けていない。ドイツでの失敗から一人故郷から逃げるようにやってきたカトリナも、この点では十分に適正があり、加えて、現状でも結果を残せていないのでは、という負の感情を持っている。
夢を見る一人の男
一方で、ここなの演じたファントムは「夢見がちな一人の男」でもあった。
これは第十場にてここなが静香に対して、ファントムのキャラクター性の解釈で語っている。
ここな「私の感じたファントムは、暗闇の中で一人膝を抱えていた、誰かに愛されたかった」
ここな「夢を見るんだ、太陽の下を何も隠さずに歩いている自分を、普通の人間みたいに外で食事をして、日曜の礼拝に行き神に祈る」
静香「(ファントムを夢見がちな一人の男として演じるなんて……!)」
ある種、ファントムの希望的な要素が描かれていたもの。
といいつつ、「表舞台への渇望」といった負の要素と絡む部分もあり、第十場時点でのここなの解釈レベルでは不足していたと思われる。
「夢見る少女」は第一場のサブタイトルでもあり、まさしくここなのこと。
ワールドダイスターを目指す自信が持てないと言っていた幼いここなに対し、静香が夢見る少女を演じればよい、とアドバイスしたシーン(※)がポイントに。
ここなは、常に意識的あるいは無意識的に「夢見る少女」を演じていたと考えられる。自分にしか見えない友達がいる、というのは如何にも夢見がちな少女でもあった。
(第○話ではなく第○場なのも、全て演技であるという意味合いがある?)
※このシーンは、ここなが常に「夢見る少女」を演じているからこそ、本来は舞台でしか発動しない「センス」が日常の中でも発動されている説明にもなっている(?)
柊の求める「私では届かなかったさらなる上の舞台」
孤独や怒りといった負の側面のファントムだけであれば、既に柊が演じている。
負の側面だけのファントムではなく、これまでにないファントムを見せてもらいたい、というのが柊が今回のオーディションに求めるもの。
八恵「柊さんは、このオーディションで何が見たいんですか?」
柊「センスの可能性、私では届かなかったさらなる上の舞台」
ここなの演じたファントムは、「センス」の静香の持つ負の要素と、自らの演じてきた希望の要素のいずれをも表現していて、負を極めたカトリナや柊のファントムとは異なるものとなった、という点が決め手に。
知冴「心の弱さ、純粋さ、表舞台への渇望、求めても手に入らない苛立ち、嫉妬、悲しみ……」
柊が演じるファントムを第九場にて全員が見ている中、ここなだけは別のファントム像を持っていた、というのもポイント。
第九場の柊たちの演技後に、すぐ真似をしていたここなが柊たちの演技に影響されずに自分を持っていた、というのが面白い。
結論としては、一人で二人分の経験が積めるここなのセンスは、役者として壊れ性能と言えるレベル。これを見抜いてシリウスに引き入れた柊さんが凄い。
今後の展開に対しては…
個人的には、静香が復活するのは数年後とかになってからにしてほしい。
別れが短いと重みがなくなる……という個人的な好みは置いておくにしても、
『私たちの約束』は「ワールドダイスターになっていつか一緒に舞台に立つ」というものなので、ワールドダイスターになる前に静香が復活するのはブレる。
第十二場では静香が出てくるとしても回想のみとかここなの頭だけとかで、現実では出てこない展開が望ましい気がする。
とか言いながら、復活して感動の再会でここなが泣いたりしたら、泣いちゃうんだろうけどね。舞台じゃないからセーフとか言われたら許してしまいそう。